――手帳類収集家として活動されている志良堂さんですが、そもそものきっかけは何だったのでしょう?
東宏治さんの『思考の手帖』という本を読んで、すごく気に入ってしまったのがきっけです。手帳って、日常的な思考を忘れないように書いた断片的な言葉が書いてあったりするんですよね。一瞬だけ頭の中に浮かんできて、たとえば「おーい」とか声をかけられたらすぐに忘れてしまうタイプのインスピレーションとか。そういうものを記録した本です。エッセイとも違っていて、どうやったらもっとそんな文章が読めるのかなと探してみたのですが、図書館でも似たような本が見つからなくて。だったら「手帳自体をどうにかして集められないか」と思い立ったんです。
――なるほど。でも、最初の一冊はどのように手に入れたんですか?
例えば、親しい人に「手帳を見せてほしい」って言うのは違うと思ったんですよね。いろんな個人的なことが書いてあるはずだから、それを読むことによって関係性が変わってしまったりするかもれないし。となると知らない人から集める方がいいだろうなと思っていた時に、ちょうどnoteというSNSが始まったんです。
そこのユーザーに一人は「手帳を集めたいです」と発信している人がいてもいいかなと。そしたら、2週間後くらいに「僕の手帳でよかったら」と手を挙げてくれた方がいて、ぜひお願いしますと。
――すごいですね!そんな経緯があったとは。
でも、実際に手元に届いた手帳を読ませてもらったら、僕の想像していた内容とは違っていたんです。断片的な言葉というよりもっと詳細な、日常でクスッとしたこととかがぽつぽつと20ページくらいに書いてあって。「これは僕一人が楽しむだけじゃなく、他の人に読んでもらってもいいんじゃないかな」と方針が少し変わって、友人2人くらいに見せたところ、やっぱりすごく面白がってくれて、「じゃあ自分のもいいよ」と譲ってくれたんです。その体験から「なるほど手帳を見せると手帳がもらえるのか」と(笑)。
それから約半年が経ち、20冊ほどになったタイミングで展示をして、楽しんでもらって、「できればあなたの手帳を売ってください」とお願いしていったら50冊くらいになりました。今所有している手帳の数は1,500冊くらいで、人だと200人分くらいかな。同じ人が「新しいの書いたんで」と連絡をくださることもあります。2021年にもらった手帳だとやっぱりコロナとかオリンピックのことが多く書かれていましたね。
――1,500冊も…!でも、見ず知らずの人の手帳を見る時の心境って、どんな風なんでしょうか?
初期と比べたら、今は比較的穏やかな気持ちで外見から中身までいろんな部分を見ている感じですね。あとは、この手帳ならではの「何か」がないかなとは探してしまいます。公式Twitterや手帳類図書室でどう紹介しようかな、と。たとえば日記だったら「この日記は女子高校生の赤裸々な恋愛が綴られています」などと紹介しやすいかもしれないですが、スケジュール帳だとそう簡単に言えず、内容を紹介するだけでは伝えきれない面白さがあります。
皆さん「手帳」というと頭の中にイメージするものが何かあると思うのですが、それも葉っぱが一枚一枚違うようにそれぞれなわけじゃないですか。そういうところを伝えていけるといいんだろうなと思っています。
――手帳を集めるようになってから、周囲の人に対する見方や接し方が変わったりしましたか?
手帳を通して、自分とは相いれないような生き方をしている人たちの内面の記録を読むことによって、「こんなこと考えているんだ」と見た目とは違った印象を受けたりもしました。人は見かけによらないと、ある意味での心の余裕ができた気もします。だから収集した手帳類は、これまでの人間関係が限定されてきた人にこそ読んで欲しいです。
たとえば誰かと親しい関係性を築いてきた人にしかわからない感情とかもありますし。直接その手帳の持ち主とコミュニケーションを取ることはないけれど、「内側から見えてくるその人」を知れるのは、SNSではカバーできないような「人間に対する感覚」を手に入れることになるんじゃないかなと思いますね。
――なんだか奥が深そうですね…。ところで最近はwebでスケジュール管理をする人も多いですが、紙の手
帳である魅力はどんなところにあると思いますか?
まず、紙に直筆だと自由度が高いですよね。たとえば何回も訂正の横線が入っているのも、僕にとっては「情報」なんです。本人に自覚はないかもしれないけれど、そういった「ノイズ」みたいなものが情報量として勝手に蓄積されていくのって、かなり贅沢なものだと感じます。
――アナログだからこその魅力ですね。
そうですね。匂いもあるし、その時のコンディションが筆跡に表れていたり。デジタルにしたら削げ落ちてしまう情報が、身体から直接記録されるって贅沢だなと。あとは、一冊取り出してパラパラめくることで、すぐに過去へとジャンプできるというか。そこも、どんどん流れていって新しい投稿だけが閲覧できるようなSNSと違うところかな。もちろん「その贅沢さが常に必要か?」とも思います。僕もwebで日記を記録しているのですが、ある意味ログ
として残している自覚はあります。
――たくさん手帳を見てきた中で、特徴的な使い方をしているなと感じた例はありますか?
まず、あまり「面白い」とは言いすぎないようにしているんです。どれが一番とかではなく、並べていった時に「この手帳にはこんな性質がある」という意味での面白さが見えてくるのかなと思っています。びっしり書き込まれている手帳はもちろんすごいけど、「何も書いてない」というあり方もいいなと。
書かないことに対して人は後ろめたさを持ってしまいがちですが、書きたくない時の気持ちをどうスキップできるかも大事だと思うんですよね。たまに、「今日は書かない!」って敢えて書いてある手帳もありますよ。一週間分のところに線を引っ張って「忘れた!」とかね(笑)。そうやって無理せず長期的に続けるのも素敵ですよね。
――必ずしも、きちんと記録しておくのが最良なわけではないんですね。
きっとInstagramには、何も書いてない手帳の中身を投稿したりしないじゃないですか。だけど、それだけじゃない手帳のあり方を大事に思うのが僕らの役目なのかなと。だから気楽に書いて、自分が上機嫌でいられるようにうまく付き合っていけばいいのだと思います。僕の個人的な願望としては、「その人らしさ」を感じられるような手帳を読んでいたいですね。
手帳類収集家 志良堂 正史
ゲームプログラマーをしながら、2014年より「手帳類収集家」として、他の人が使用した手帳を許可を得て集め、分析してSNSなどでも情報発信をしている。東京都内にある「手帳類図書室」では、収集した手帳の実物を閲覧可能。
Twitter:@note_collector
手帳類図書室HP:techorui.jp
文・編集=山越栞