
眠りに落ちかけている頭の上から、最寄駅の名前が聞こえる。慌てて電車を飛び降り、南口へ向かうと、明るく光るまちの看板と、これから二軒目に向かおうとする人で賑わう。
このまちは、いつの時間も人が多い。新しい店が入ってはなくなり、また知らない店に入れ替わる。
眩しい夜のまちから遠ざかるように自宅へ向かって歩いていくと、暗がりの路地にぼんやりと円が浮かび上がっていた。
裸眼のゆるいピントで必死に輪郭を探す。
真ん中に穴があいている。何でこんなところにドーナツが落ちてるんだろう。
距離が1mくらいまで縮まってから、ようやく正体に気づく。
ドーナツではない。バウムクーヘンだった。
バウムクーヘンといえば、2年前に他界した祖母が、遊びに行くたび用意してくれたお茶菓子だ。祖母は「食感が苦手なの」と言い、自分の分まで分けてくれていた。
朝、電話の鳴る音で目が覚める。どうせ母が取ってくれるだろう、と二度寝を決め込もうとするが、なかなか鳴り止まない。しぶしぶリビングへ向かう。受話器を持ち上げると、祖母の妹である大叔母さんだった。
先日送った荷物が届いているか確認してほしいと言う。辺りを見回し、玄関のそばに小包があることに気づく。
「よかったわ。もうすぐおねえさんの命日でしょう。あの人がいちばん好きだって言ってたお店へ行ってきたのよ」
カレンダーを見ると、たしかに明後日だった。小包を開ける。見覚えのある箱に、思わず首を傾げた。
だってここに入っているのは、祖母が苦手だと言っていたあのお菓子なのだ。
腑に落ちず一人そわそわしているうちに、買い物していたらしい母が帰ってきた。ことのあらましを話すと、「そうねえ」と笑いながら曖昧な相槌を打つ。そして、記憶を辿るようにほんの少しの間を置き、口を開いた。
「『さきちゃんは、わたしに似たのねえ』ってすごく嬉しそうでね。わたしが死ぬまで内緒にしてちょうだい、って口止めされてたの。何があってもこの子にはしあわせでいてほしい、って」
祖母の家にはいつもバウムクーヘンがあった。それを、わたしのために用意してくれているものだと、ずっと疑わずにいたのだ。
まだ少しだけ明るさが残る空を見上げながら歩くと、途中で煌煌と光るお店が視界に入る。
店内を覗くと、バウムクーヘン専門店だった。
あの夜、道端に落ちていたものとそっくりな黄色い円が、ショーウィンドウに並んでいる。扉を押して入ると、バターのふわっと甘く濃厚な匂いが広がった。
もしかしたら祖母は、このお店のことをわたしに知らせてくれたのかもしれない。
今度はここでお供え物を買って帰ろう。
月明かりのもと、いつもの道を通る。昨日落ちていたバウムクーヘンは、なくなっていた。
文=ひらいめぐみ・編集=山越栞
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