
過去のつらい経験も、いつかきっと意味のあるものになる。
そんなことを娘から教わるだなんて「あの頃」の私が予測できただろうか。
長女の花音は今年で14歳。ふとした時に女性らしさがうっすら浮かぶようになり、我が子ながらどきりとすることも増えてきた。
「おや」と気づいたのは去年のクリスマス・イブ。友達の家でクリスマスパーティをするのだと聞いていたけれど、こういうときの母の勘というのは皮肉なものだ。「この子もそんな歳になったのね」と思いながら、素知らぬフリで見送った。
桃色に染まった爪先に、真っ白なマフラー、うっすらコロンの香り。ちゃんと隠しているようでいても、幸せな恋をしている女の子の周りにはふわふわと羽が舞っている。
自分で言い出すまでそっと見守っていようと、それから2ヶ月ほど経ったバレンタインデー前日、真夜中のキッチンからチョコレートの甘い香りが漂ってきた。ああよかった、まだ仲良くできているのね。できれば「ねぇどんな子なの?」なんて一緒に盛り上がりたいところだけど、「シャイなのはパパ似かな」なんて思うと微笑ましい。
一方の私はといえば、恋愛で何かあるとすぐ母に相談するような娘だった。
特に、初めてできた彼に振られたときはこの世の終わりみたいに落ち込んで、そういうときこそ母は穏やかに「大丈夫」と言ってくれたのを思い出す。
とはいえ、すべてを母に話せたわけじゃない。
大人になればなるほど、少女漫画の世界では絶対に起きない出来事に打ちひしがれるのに、凝りもせずにまた恋をしていた。寂しさで消えてしまいそうだった日々も、自分を責めたり人を信じられなくなったこともある。もう二度と感じたくない感情があるってことも学んだ。
そんな時代も終わり、今度は自分が母になったとき。生まれた娘には、花のように優しい世界を生きてほしいという想いで名前をつけた。誰も、この子を傷つけないでほしいと願った。
だけどきっと、どうしたって人は傷つくものなんだろう。そうじゃなきゃ人生なんてやってられない。年頃の娘を持って、最近はそんなふうに思う。
ちゃんと傷ついて、ちゃんと立ち直れる子でいてほしい。
この子もいつか別れを経験して、世界の終わりみたいに泣く日がくるんだろうか。なんて縁起でもないことを考えていたら、むかし母に言われた「大丈夫」のフレーズが脳裏をよぎった。
大丈夫だよ
当時は「何が大丈夫なんだ」と思っていたけれど、今の私もきっと同じことを娘に言うだろう。
だって私がいま「大丈夫」になっているんだから。
そう思うと、あの時の母も同じだったのかもしれない。
大丈夫じゃないかもしれないことを何度も乗り越えて、「わたしたちは大丈夫」って、娘に言えるお母さんになったんだ。
文=山越栞