2021.01.05

バウムクーヘンの夕べ

スナックミー

 5歳になる娘と手をつないで、川辺の土手を歩く。
これから行く幼稚園のお泊り会が楽しみなようで、いつにもましておませさんなおしゃべりが止まらない。
微笑んで相槌をうつ自分を、客観的に「お母さんしてるなぁ」なんて思う。平和だ。


 もしも今ここで突然通り魔に襲われたりしたら、きっと夕方のニュースでは「あんなに幸せそうな親子がまさかね…」なんて、近所の人がインタビューに応じるんじゃないだろうか、などと物騒な想像をした。

「ママはしあわせ?」
 そんなときに突然言うから、娘に心を読まれたのかと思ってびっくりした。
母娘って、近からず遠からず、思考がリンクしているんじゃないかと感じることがある。


 きっとこの子が初めて恋をしたら、第六感ってやつで気がつくんだろうな。そのときはひっそり見守るか、はたまた「好きな人できたでしょ」って一緒にニヤニヤするか、ちょっと楽しみだったりする。


「しあわせ、なんて突然どうしたの?」
 聞いてみると、どうやら幼稚園の先生の影響らしかった。
娘の担任である「あかり先生」が婚約したそうだ。
 あかり先生は、素直な物言いが父兄にも好印象な、26歳の潑溂とした女の子だ。
そんな彼女は、子どもたちに隠すことなく、「先生ね、今度けっこんするんだよ。しあわせなんだぁ」と、話したという。
 5歳の女の子にとって「けっこん」という言葉は、ちょっとわかり始めた、憧れの単語なのかもしれない。
娘は、「パパとママもけっこんしてるんだよね!いいなー!」と目を輝かせた。

 娘を幼稚園に送り届けると、なるほど、あかり先生は本当に幸せそうだった。
「おめでとう」をたくさん言われて、幸せの渦中にいる人を見ているのはとてもいい。頬がほんのり紅潮していて、世の中の全てを許しているようなオーラをまとっている。


 私は30代で結婚したので、仲間の中でも比較的遅めな方だった。それこそ、あかり先生のように20代の中頃で結婚する子が多かったから、その頃は毎月のようにおしゃれをして、式やら披露宴やらに出席した。
 大きな大きな引出物の紙袋には、そのほとんどにバウムクーヘンが入っている。
そういうわけで、20代の頃は「友達の結婚式でもらったバウムクーヘンを一人で食べきる」という経験を何度かした。

 円になったバウムクーヘンを切り分けもせず、手でちぎってもくもくと咀嚼する。別に「結婚を先越されてくやしい」とか「私も結婚できるか不安」とかではなかったのだけど、一人暮らしの独身女性だった頃は、バウムクーヘンを誰かと食べる機会に恵まれなかったから。
 でも、あれはあれで贅沢なひとときだったと思う。


 ドイツ語で「木のお菓子」という意味のバウムクーヘンは、年輪のように重なる断面が特徴的で、長寿や繁栄を連想させるから、縁起のよいお菓子なんだそうだ。
 そのほか「日持ちするし常温で持ち歩いても安心だから」という現実的な理由でも、結婚式の引出物として望ましい条件を満たしている。


…というのを、自分が結婚式を挙げる際にウエディングプランナーさんに説明されたことを思い出した。
どんな理由だったかは覚えていないが、結局私たちは引き出物のお菓子にバウムクーヘンを選ばなかったんだけれど。

 幼稚園の先生の結婚でバウムクーヘンについて考えるなんて、相変わらず私は食いしん坊だなぁ、なんて思いながら夕食の用意をしていると、仕事を終えた夫が帰ってきた。

 二人きりの夕食は久しぶりなので、なんだかぎこちない空気だ。夫も私も、知らずしらずのうちに娘ありきのコミュニケーションが主になっていたのかもしれない。
「ねぇ、今日はバウムクーヘンがあるから、ご飯のあと一緒に食べようよ」
いいね、と答える夫の声と、私が彼の前に味噌汁のお椀を置く音が重なった。

文=山越栞

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