
悲報
スマホゲームに没頭していたら、iPhoneの画面上部にポップアップ通知がきた。何事かと思い条件反射のようにタップすると、実家に帰省中らしい妹からのLINEだった。
悲報
駅前のゲーセンが潰れてた
画面の左側で、白色のふきだしが短く2つ重なっている。
目の前に起きたショックを、どうしても今すぐ誰かに伝えたかったのだろう。
まじか
思ったことをそのまま打つと、右側できみどり色の吹き出しになった。
駅前のゲーセンといえば、あの辺に住む子どもたちのほとんどが一度はお世話になった場所だ。小学校高学年くらいになると親の同伴なしで行くことが何となく許容され、クラスでも目立つタイプの中高生が代々そこで幅をきかせていた。
個人的にはそんなに好きではなかったけれど、幼馴染たちが「行こう」と言うので、なんだかんだ自分もよくそのゲームセンターでたむろしていた部類だ。
「THE 地方のJK」だった2歳下の妹とは、たまにプリクラコーナー付近で鉢合わせたりもしたから、彼女なりにあそこには思い入れがあったのだろう。
それにしても「悲報」という響きには、なんだか他人行儀なニュアンスが含まれている。ネット記事の見すぎかもしれないが、若干のネタっぽさを感じなくもない。
実際にはそれほど悲しんではいないというか、「ああそうなんだ」「まあそうだよね」といった、諦めに似た受け入れ。
一瞬の感情も、すぐにホロホロと崩れて口溶けのように消え、最後には歯の奥に挟まったような少しの違和感だけが残る。ただその違和感には、どこか懐かしさや愛おしさも感じられ、どうにも形容しがたい。
そう考えると、妹の「悲報」も、自分の「まじか」も、どこか的を得ているような気がした。
お母さんが、「お兄ちゃんは元気か」って何度も聞いてくるんだけどそろそろ顔見せてあげれば?
仕事が原則リモートになった妹は軽々しくそんなことを言うが、こちとら体制の古い不動産屋の営業職。そう簡単にもいかない。
なんて心の中で毒づきながらも、溜まっていた有給を消化しないといけないタイミングだったので、ちょうどいいやと思い、来週分として休暇申請を出した。
1年半ぶりに会う母を見たら、なんとなく、幼い頃に祭で買ってもらった風船の3日目を思い出した。6年前に夫をガンで亡くし、それ以来はひとり、かつての嫁ぎ先だったこの家で暮らしている母。
「おかえり。元気そうやないの」
「まぁ。あ、これ」
いい大人が手ぶらで帰るのもなと思い、新幹線のホームで買ったどこかのお菓子を差し出す。
「あらまぁ嬉しい。クッキー?」
「しらん。ブールドネージュって書いてあるけど」
「へぇ、ブードルネージュ。洒落とるなぁ」
「ブールドネージュ」
「プードルネージュ!?」
「絶対わざとやろ」
「アハハハハ」
なんでもええやん、せっかく買うてきてくれたんやし、お茶にしよ。甲高く笑いながら廊下の奥へと引っ込む母の後ろ姿から、靴を脱ごうと視線を落とした。段差の真ん中に、きちんと一人分のスリッパが並べられている。
悲報
母、健在。
「たかし~!プードルナントカ、はよ食べよ~」
ダイニングから催促する母の声を聞きながら、妹にLINEを送った。
文=山越栞