
ゲストといっしょにおやつを囲んでフリートークを楽しむ企画。おやつに関係ある話も、全く関係ない話も飛び交います。
おやつを食べているときって、そんなものなんじゃないだろうか。
-今回は和洋菓子店を営むいさみ屋の尾﨑さんに、日本の郷土菓子としての和菓子についてお話を伺いたいです。
和菓子の起源は縄文時代まで遡ります。拾った木の実を粉砕し、それをあく抜きして練り上げたものが団子(和菓子)のルーツと言われているようです。
その後、中国の唐の時代から日本に砂糖が輸入されるようになり、甘味のお菓子が始まったようですね。
洋菓子が日本に入ってきたのはもっと後の室町時代。16世紀ごろ長崎にポルトガル船が漂着し、鉄砲やキリスト教の伝来と一緒に入ってきました。

洋菓子と比べると、和菓子はとても季節感を大切にする日本の風土を反映した、伝統文化的なものだと私は思っています。
-和菓子のルーツはそんなに古くからあったんですね。和菓子についてもう少し詳しく教えていただけますか?
和菓子だけでも餅もの、蒸しものなどさまざまな種類があります。餅ものは柏餅や団子や大福、おはぎですね。蒸しものは蒸し饅頭。焼き菓子だと関東風の桜餅、どら焼きもそうです。
その中でオーブンを使ったものにカステラや栗饅頭があります。

そのほかには水ようかんのような流しもの、落雁と呼ばれる型に生地を入れて乾燥させたもの、もなかのようなおかもの、あんこを主体にして季節のものをいろんなかたちにする上生菓子ですね。
-言われてみれば和菓子だけでもいろんな種類がありますね!
和菓子屋さんでは昔ながらの定番のおやつを販売されているイメージがありますが、いさみ屋さんには他ではあまり見ない商品を開発されているようにお見受けしました。
私は菓子職人としてのキャリアを洋菓子店からスタートしているんですよ。洋菓子作りも和菓子作りも経験している自分のスキルを活かしながら、まったく新しいものというよりも、さまざまな情報やマーケットを見て、トレンドをキャッチしながら作っています。

ただ、定番のものは必要以上に手を加えてしまうと違うものになってしまうため、基礎は変えずによりよい素材を探し、さらにおいしいものを作っていくようにしています。
-先代のお父様から受け継ぎながらも、日々改良を重ねていらっしゃるのですね。
ご実家がお菓子屋さんというのはとても珍しいことだと思うのですが、小さい頃の記憶として覚えていることはありますか?
もともとこの店は、自宅に小さな工場をつくったのが始まりでした。その工場の中で子守をされながら育った記憶はありますね。
-自宅に工場……!そんな尾﨑さんが子ども時代にどんなおやつ時間を過ごされていたのか気になります。
小学生くらいのとき、売り物にならないちょっと形の悪いシュークリームの皮に砂糖が詰め込まれたものがおやつでしたね。商品としてはクリームを入れていたと思います。
子どもの頃のおやつの時間の思い出というと、それが記憶に残っています。
-それはお菓子屋さんならではのエピソードですね!たしかにそういった名前のないおやつや手料理ほど、実家の味としていつまでも覚えている気がします。
職人の立場になった今、尾﨑さんはお客さまに和菓子をどのように楽しんでもらいたいですか?
うちが一番大事にしているのはあんこ作りなんです。その美味しさを感じてもらえたら嬉しいですね。

あんこにも鮮度があるんですよ。炊き上げていつまでもおいしいわけではなく、同じ小豆からでも作り方によって味が変わります。
実を言うと私自身あんこが苦手だったんです(笑)。製菓学校で和菓子か洋菓子かの選択があったとき、洋菓子を選んだくらい。
でも先代について和菓子について教えてもらってからは、大好きになりました。

若い人たちにとっては「お菓子」というと洋菓子の方がイメージに浮かぶと思うんですが、和菓子も同じくらい気軽に楽しんでいただけるようになったらいいですね。
-最後に、尾﨑さんにとっておやつ時間とはどんなものでしょうか?
おやつって、一日三食がある上で楽しむ嗜好品ですよね。
食事として必要なものではないけれど、おやつがあることでいらいらがおさまったり、心を和ませたりしてくれるものなんじゃないかなと思います。
-profile-
菓舗 いさみ屋 社長
尾﨑 勇一

高校卒業後に都内の洋菓子店で8年間、パリ市内のパティスリーで2年間の修行後、家業のいさみ屋にて創業者から和菓子づくりと経営を学び、2002年から2代目店主となる。伝統を守りながらも、かりんとうまんじゅうやアン食パンなど和洋を学んだからこそできる人気商品を考案
公式HP:isamiya1955.com
twitter:@isamiya1955
instagram:@isamiya_kawatana
文=ひらいめぐみ・編集=山越栞