2021.07.29

【STORY】夜道のカシューナッツ

スナックミー

 ねずみ色の空は日が落ちてからも相変わらずで、窓枠に切り取られた空は晴れた夜よりも少しだけ明るい代わりに、星の光がひとつも見えない。

 濃く淹れたコーヒーにミルクを流し込むと、そんな今夜の空模様に似せたように、たちまちカップの中身が白く濁っていった。

 棚のデジタル時計が22時を示す頃、カップの底を覗き込んで、ふと「外に出たい」と思った。小さなバッグを肩に
かけて、玄関のドアを開ける。夏の湿気った夜風が前髪をうねらせた。

「まだ一週間も経っていないんだ」

 3年もそばにいてくれた恋人とお別れをしたときのまま、バッグの中にはハンカチとポーチと、最後の思い出に
二人で行った映画のチケットが入っていた。

 別れは二人の選択だったはずで、「これからはそれぞれの道を応援しよう」だなんてカッコつけて解散をしたのに、あれからずっと内臓が重い。

 マンションのエントランスを出ると、薄明るい郊外の夜が広がっていた。

 久しぶりに一人で飲むのもいいかしらと、コンビニに立ち寄って350mlの缶ビールを買う。こんな歌があったなぁと気づき、でもその歌詞では一人ぼっちの夜の散歩じゃなかったかと、妙に落ち着いた精神状態のまま思った。

 信号が点滅する横断歩道を、手を繋いだ若いカップルが「やばい」と言いながら小走りしていく。本当にやばくないときの「やばい」という言葉は、なんて楽しげなんだろう。

 彼らを見送り、ひとけのない並木道でプシュ、とタグを持ち上げると、内臓が少しだけ軽くなった気がした。

「これでよかったと思うよ」

 彼は最後にそう言って笑ったし、私も同感だった。もう十分に大人だった私たちは、綺麗なさよならの仕方を知っていたのだ。社会人になってから、初めて付き合った人。ゆえに、学生時代のような歯の浮く愛情表現ができなかったのがいけなかったのだろうか。

 だけどそもそも、「愛してる」という言葉の言いにくさは異常だ。

 「好き」ならばまだしも、「愛する」を「している」と、こんなにまっすぐに伝えなければいけないなんてハードルが高すぎる。それに、簡単に愛を語れるほど、無知で無垢な私達でもなかった。

 5%のアルコールが身体にまわりはじめて、歩幅も少し大きく軽快になってきたところで、バッグからカシャカシャと音がすることに気づく。奥底に手を突っ込むと、小分けのパックに入ったカシューナッツが出てきた。

 そういえばあの日、最後のデートなのに遅刻しそうになり、朝ごはんとしてこのカシューナッツをバッグに詰め込んで出かけたんだっけ。すっかり忘れていたおかげで、はからずも今、丁度いいおつまみを手に入れた気分だった。

 思わず天を仰いで「ありがとう」と心でつぶやくと、いつの間にか雲間から星が覗いていた。

 星たちはきょとんとしている。
それもそのはずだ。彼らはいつでも変わらずそこにいるのだから。見えなくなっているのは、こちら側の問題にすぎない。

 いつもそばにいてくれてありがとう。過去のわたしが残してくれたカシューナッツをいただきます。

ありがとう
いただきます
さようなら
応援してる

 すべてのことばには、見えない「愛してる」が備わっているのかもしれない。

 もしも願いが叶うなら、今度はこのことを忘れずに恋をしたい。そう思いながら、流れ星を探して深夜の道を進んだ。

文=山越栞

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