2022.02.28

おやつエッセイ|CTO 三好隼人

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遠足のおやつと自己表現


小学生の頃、定められた金額のなかで用意しなければならない遠足のお菓子は、私にとって「自分」という存在を表現できるものでした。

「遠足のお菓子は300円までです」と先生に言われれば、心踊りながら300円を握りしめ友人と駄菓子屋に向かいます。決して300円超えているかどうかということを先生たちは確かめることはしませんが、忠実に守ろうとしていました。

そこで駄菓子屋に着くや否や全体を見渡し、「量」でいくのか、量は減ってしまうが「質」を優先にするのか、毎回自分の心と会話していました。

まず、ものから入るのではなく、10円、20円、30円、50円が何個ずつでどういう価格帯のフォーメーションにするのかを頭の中で計算し、組み立てます。

10円のものは比較的多くの種類を購入できますが、どれも小さいものが多く、50円のものはここぞいう時でないと購入まで辿り着けません。そのためか、30円の種類を比較的選びがちでした。(3つのプランがあったら真ん中を選んでしまいがちなタイプです。)

決してそろばん教室や塾などに通ったわけでもないのに算数ができたのは、遠足のおやつのおかげだったと思う時もあります。

言い過ぎと感じられるかもしれませんが、限られた予算で満足度を最大化することに注力すると、数字の暗記力や計算力がないと途中でわからなくなってしまいます。そうすると自然と数字に強くなり、結果として計算力もついたのかと思います。

一方で、当時と比べ駄菓子屋の数は減り、当時のような光景はなくなりつつあります。そんなことから、最近の遠足のおやつ事情が「バナナはおやつに入るか入らないか」問題と違った観点で気になった今日この頃です。


編集=山越栞

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