
ここだけの話なのですが、小さい頃から“妖精”が見えるんです。
のんびりした性格なので、ふとなにもない空間を眺めていることが多い子どもでした。
はっと気づくと、“それ”はまるでモヤのかかったようにボヤけて宙を漂っていました。
なんとはなしにそれを見続けていると、だんだん輪郭が鮮明になっていきます。
しかし、子どもながらに「これは見えちゃマズイものだ」と分かったので、そのとき
は誰にも話さずに、平静を保って友だちの会話の輪に戻りました。
うまく取り繕うことを、ギリギリできるような年頃ではあったみたいで。
それからというもの「見えちゃマズイもの」はときどき現れるようになりました。
でも、その実態がなんなのか、さっぱりわからないのです。
すこしでも近寄ってよく見ようとすると、夢から醒めたみたいに消えてしまいます。
よっぽどボーッと一点を見つめているときは、周りの人に顔の前で手を振られることも。
いつからか、私はそれを“妖精”と定義づけることにしました。
はっきりと“妖精”の形をしていたわけではないのですが、お化けって感じでもないし。
るんるんと散歩をしていても現れるので、きっとピーターパンに出てくるティンカーベル
を具現化したら、こんな風に概念化されたような見え方をするんじゃないかな、なんて。
すると不思議で、たしかにそれは妖精以外の何ものでもないように思えてくるのでした。
ごめんなさいと思いつつ、ぼんやりしているときは「妖精がいる」ことにしてきました。
しかし意外とみんなすんなりと受け入れてくれるので、なんだか逆に不安です。
てっきり「不思議ちゃん」とか「ヤバイやつ」と言われると思っていたのに。
くだらない冗談だと周りは流してくれるけれど、“妖精”は今も私のそばにいます。
だって、原稿に詰まって言葉がでてこなくなったときは「こんなのどう?」と耳元で
ささやいてくれるもん。
いつも助かっています、ありがとう。妖精。
なんて書いたのですが、できれば今すぐ一番左を縦読みしてください。よい春を。
文=山越 栞
編集者・ライター、ときどきエッセイスト。1991年栃木県日光市生まれ。十代から茶道を続けており、身近な日本文化の発信がサブテーマ。
