2021.05.17

月曜日の朝に、言葉をひとさじ。|5月17日

snaq me

“大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から、人を愛していける人間に、なることなんだと思います。”

-いわさきちひろ


5月5日にこどもの日があり、5月の第二日曜日に母の日があり、5月は特に「大人になるってどういうことだろう」と考えることが多いなと気づきました。

こどもの日に、小さいころのことを振り返って。母の日に、母の目線でこれまで受けてきた愛を思い出して。

恥ずかしい話ですが、大きくなるまでは「わたしが一番で当然」くらいに思っていました。横柄キッズです。

さらに、祖父の家へ遊びに行って早く帰ってきたとき「あら、もう少しいれば良かったのに」と母に言われ、はちゃめちゃに泣くくらいのかまってちゃんでした(家にいなくて寂しかったと思ってほしかったんですよね)。

今振り返ると家に怪獣がいるような感じだったんだろうなと反省しています。

成人するまでは、親の大変さなんて真剣に考えたこともありませんでした。

子どものころは自分のことでいっぱいいっぱいだったし、自分の働いたお金で生活することの大変さは、その立場にならないと、やっぱり本当の意味では分からなかったんですよね。えー!こんなに税金引かれちゃうの、とか。賃貸の更新料とか。

大人になって一番驚いたのは、幼いころ手術したときに母が輸血をしてくれたと聞いたことでした。

手術をしたのは一歳のころで、もちろん記憶はまったくないし、輸血をしてもらったことすら知らなかったんです。手術をしなければ三歳までしか生きられなかったとも聞かされました。

でも、母が言葉の通り体を張って、そのあとのわたしの人生を繋いでくれていた。

同時に、そんなことも知らずにのんきに大人になって、順調な一人暮らしを謳歌しながら「ひとりでも余裕で生きていけるな」なんて偉そうなことを思いながら過ごしていて、とても恥ずかしくなりました。

わたしはまだ子どもを育てたことがないので、自分の子どもに輸血をするってどんな感覚なのか、完全に理解することはできません。

ただ、そういう周りのひとからもらったひとつひとつの愛を受け止めることができるようになって、ようやく自分自身も愛を差し出せるようになってきたような気がします。

「見返りを求めない」というのは、頭では分かっているつもりでも、心が納得しないときがやっぱりあると思うんです。

それでも愛を出し惜しみせずにいられるときって、自分も満たされているし、嬉しい気持ちなんですよね。

これが子どものころに分かっていたら母にあんなこと絶対言わなかったのに、と思うことが山ほどありますが、大人になってから知った方がいいこともあるということにしておきます。

……という話を書いているわたしはいまだに母の日に贈るものが決められず、父の日ギフトの記事を書き始めました。こういうところなんですよ。大人になれた気でいるけどまだまだ子どもです。

感謝の気持ちを伝えるのはいつだっていいことなので、同じような方がいたら、一緒にタイミングを見つけて伝えましょう。そして来年こそは母の日の前に準備を……。

今週は雨マークが多いですが、雨の日にぴったりのお気に入りの音楽を見つけたり、見つけた水たまりの数を数えたりして楽しく過ごしましょうね。今週も素敵な一週間になりますように!


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