2021.12.27

月曜日の朝に、言葉をひとさじ。|12月27日の朝

snaq me

“子曰、温故而知新、可以為師矣。”

子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以って師と為るべし。

-孔子


この月曜日のエッセイも、今年最後の回になりました。一年の振り返りもまだできてないし、スナックミー社は明後日の29日が仕事納めなので、まだ少し気を引き締めて過ごしています。

さて、今年最後は何を書こうかなと考えていたのですが、前にちらっとどこかで書いた(月曜のこのエッセイか、メルマガか……)携帯電話についての話をしようと思います。

最近、スマートフォンからガラホに機種変更をしました。「ガラホって何?」と聞きなれない方もいらっしゃいますよね。かくいうわたしもその一人でした。

ガラホとは「ガラケー+スマホ」の略で、使い勝手はガラケーだけど機能はスマホに近いもののこと。通常のガラケーの場合はキャリア独自の回線網を経由しますが、ガラホはスマホと同じようにインターネットに接続できます。

ただし、使えるアプリが限定されるため、今わたしが使っている機種だとLINEはできますが、SNSは毎回ブラウザを立ち上げることになります。また、ブラウザでは開けないものに関しては見る術もなく、動作がスマホより遅いこと、画面が小さいこともあって、よっぽどのことがないと見る気にもなれません。

そんな不便な携帯電話にわざわざ変えたのか。いちばんの理由は、スマホに頼り過ぎていることに気付いたからでした。

便利であるから、当たり前に恩恵を受けていたけれど、実際スマホは何役もこなしています。時にはレコーダーになって取材の記録を残してくれ、時には現在地を表示してくれる地図になってくれ、道を間違えていたら教えてくれる。

でも、いつでもSNSをぱっと開けることや、起きている間中届いた連絡に気づけること、そういった便利さを、自分はどこまで必要としていたんだっけ。

「わたしが欲しい」と思ってつくられたものではなく、つくった人が、「持つ人が欲しいだろう」と備え付けた機能に振り回されていると気付いたとき、とても怖くなりました。

身の回りにあるものは自分が能動的に選んでいるとばかり思い込んでいましたが、一日の中でいちばん手にしているものを、誰かの価値観に委ねてしまっていたかもしれないのです。

そこから別の機種を調べていくうちに、かつて昔の自分が欲しかった憧れの機種が、ガラホになって数年前から発売されていることを知りました。

それが今使っているこの上の写真の携帯電話です。見覚えのある方もいるかもしれません(なぜが8:30のアラームが2個ありますが気にしないでくださいね)。

正直これだけでは無理だと分かっていたので、中古でiPadも一緒に買いました。でも基本的に、ちょっとした外出なら携帯電話だけで事足りています。

何より、携帯電話を見る時間が激減して、すごくほっとしている自分がいました。見られると見ちゃうんですよね。SNSも、メッセージのやりとりも。だけど、見られないから後でまとめてチェックしよう、とか、暇なときにしか浮かばない自由なアイデアが出てきたりして、「何もしない」を楽しむ時間が増えました。

携帯電話だけでなく、「スマホもきれいな写真が撮れるけれど、インスタントカメラの味のある感じも好きだな」とか、「炊飯器じゃなくて土鍋にしようかな?」など、自分があたりまえだと思っている生活を見直そうと思えば、意外にも見直すポイントはたくさんあります。

暮らしやすくすることと、便利であることとはイコールではないのかもしれない。そうやって考えてみると、ほんとうに自分が暮らしやすい生活が何なのか、ちゃんと捉えることができるんじゃないでしょうか。

いつも記事を読んでくださっている読者のみなさま、今年も一年ありがとうございました。メルマガは1/3の月曜日だけおやすみする予定ですが、月曜日のエッセイは変わらず更新していきます。

ちなみに、今月の頭に公開した、青石ひかりさん監修の2022年上半期のおやつ占いを見てとてもびっくりしました。自分の星座であるふたご座のご自愛ポイントが「最新のものから距離を置く」で、あまりにもどんぴしゃだったので……(ちょっと先取ってしまいましたが)。 みなさんも年末年始ゆっくり過ごされるときに、ぜひご覧くださいね。

文=ひらいめぐみ


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